わからなかったアートの話|はじめに

Edogawa Art Salon, Tokyoで生まれたアートの話

「この絵は、いったい何を描いているのだ。」

アンリ・マティスの《生の歓び》(1905–06年、バーンズ財団)をはじめて見たとき、僕は悩んだ。大学時代、この作品を分析するという課題が出たためである。

近代絵画における大傑作であり、マティス自身にとっても重要な作品である。けれども、正直に言えば、どう見ていいのかさっぱりわからない。

本年(2026年)、マティスの講座を持つことになり、この作品に改めて向き合うことになった。

「いやー、久しぶり」

また出会ってしまった。

しかも、マティスをやるうえで、この作品を無視しては通れない。もちろん大学でも学んだ。それでも、今なおよくわからない。

よくわからないのなら、マティスを講座で取り上げるなよ、と自分で自分に突っ込みたくなるが、もう遅い。

これは何かの場面なのだろうか。そもそも、なぜ人物たちは裸で外にいるのだろう。色も、人物の大きさも、空間も、どこか現実から外れている。

美術史の本を開けば、この作品がどれほど重要であるかは紹介されている。けれども、作品に向き合ったとき、その重要性がすぐに腑に落ちるわけではない。

僕は、西洋から遠く離れた日本で生まれた。美術館が身近にある環境で育ったわけでもない。特別に感性が鋭かったわけでもなく、絵心もなかった。美術の成績も、ぱっとしなかった。

そんな僕が東京に出て、初めて本物の美術に触れた。

きっかけは、いくつかの偶然だった。あるとき、ロンドンのコートールド・ギャラリーの展覧会が開かれていることを知り、出かけてみた。

今でも覚えている。モネの《アンティーブ》(1888年、コートールド・ギャラリー)の美しさ。マネの《フォリー・ベルジェールのバー》(1882年、コートールド・ギャラリー)から伝わってくる、圧倒的な傑作感。

何がどうすごいのか、当時の僕には十分に説明できなかった。それでも、何か途方もないものの前に立っていることだけはわかった。

それから、僕は展覧会に足を運ぶようになった。わからないまま、一流の芸術に触れ続けた。図書館でたまたま開いたルノワールの画集に、南仏カーニュの輝きを見た。ミケランジェロ展で見た《クレオパトラ》(1535年頃、カーサ・ブオナローティ)のデッサンには、本物だけが持つ圧倒的な力を感じた。

やがて僕は、美術史を学ぶまでにはまり込み、ヨーロッパへ渡り、長く西洋美術に向き合うことになった。知識も少しずつ増えた。作品を見る経験も積んだ。美術館で、教室で、書物の中で、美術に触れてきた。

それでも、絵画に向き合うと、わからないことの方が圧倒的に多い。

「専門家がいるんだから、今度の展覧会は楽しみだね」

そんなふうにもよく言われるのだが、まあ、困ったもんだ。僕だってわからないのだ。

むしろ美術史とは、学べば学ぶほど、わからないことが増えていく学問なのかもしれない。作品の主題がわかっても、画面の不思議さは残る。時代背景を知っても、色や形の強さを説明しきれるわけではない。画家の生涯を追っても、一枚の絵がなぜそのように描かれたのか、最後のところでは簡単にはつかめない。

このエッセイは、僕がEdogawa Art Salon, Tokyoで美術史講座を組み立てていく過程で生まれたものである。

講座を作る作業は、単に知識を整理することではない。一枚の作品を前にして、どこがわからないのかを見つめることから始まる。

なぜこの絵は重要なのか。

なぜこの色なのか。

なぜこの構図なのか。

なぜこの画家は、ここまでしてこの一枚を描かなければならなかったのか。

そうした問いを少しずつ解きほぐしながら、作品に近づいていく。

もちろん、芸術の天才たちが心血を注いで創造した作品の奥底に、簡単に届くとは思っていない。

けれども、わからないからこそ、見続けることができる。
わからないからこそ、調べ、考え、もう一度作品の前に戻ることができる。

この連載に収めるのは、美術を「わかりやすく説明する」ための完成された解説ではない。

むしろ、美術史を学んできた僕自身が、作品の前でどこに立ち止まり、何に戸惑い、どのように考えを進めていったのか、その過程の記録である。

美術について何もわからなかった僕が、そして今もなお多くのことがわからない僕が、どのように絵画に近づこうとしているのか。

その道筋を共有することで、読む人が一枚の絵の前に立つときの助けになれば、これ以上の喜びはない。

 

※ この文章は、Edogawa Art Salon, Tokyoの美術史講座から生まれた連載「わからなかったアートの話」の前書きです。